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TOP > ブランド・シリーズ > TECTA(テクタ)
1990年に誕生した「M21ダイニングテーブル」は、正円でも楕円でもなく、不思議なフォルムの天板をもつユニークな家具です。
一辺は直線ですが、残る三辺はそれぞれに異なる曲線を描く。この不定形のラインを描いたのがジャン・プルーヴェです。座る人数を限定しない形状はさまざまなシーンに対応し、微妙な視線のズレで心地よい距離感をもたらしてくれます。
バウハウスのモダニズム精神とその造形哲学を今日へと継承している「TECTA(テクタ)」が作り出す、未来へと受け継がれる名作家具をご覧ください。
テクタの創業者であるアクセル・ブロッホイザー氏は、旧東ドイツ出身で1943年生まれ。
若かりし日に「カンディンスキーのゆりかご」と題されたペーター・ケラーのスケッチを見たことでバウハウスに心酔し、西ドイツへ亡命を果たしてまでバウハウスの精神を受け継ぐことを自らに課した人物です。
ブロッホイザー氏が傾倒したバウハウス的思想とはどのようなものなのか。
1972年、亡命後のブロッホイザー氏は、西ドイツのローエンホルデにあった家具工場を買い取り〈テクタ〉と名付けました。
バウハウスはスタイルではなく「思想」あるいは「アイデアの方法論」が教えられていましたが、彼はテクタ社でその思想を実践に移し続けてきました。
「目的に最も適した素材を最善の方法で用いること、そこに美が宿る」と解釈したブロッホイザー氏は、バウハウスなき後の現代において、その思想から得た「機能美」を求めて家具を作り続けています。
また同時に、エンジニアである彼は、バウハウス時代の家具の著作権を買い取り、復刻させていく傍ら、アリソン&ピーター・スミッソンやジャン・プルーヴェ、ステファン・ヴェヴェルカなどとの共同作業を経て、現代版バウハウスとも呼ぶべき作品を数多く発表しています。
現在は、ブロッホイザー氏の後継者として新たな息吹を持ち込もうとする、甥のクリスチャン・ドレッシャーが新世代のデザイナーと共にバウハウスの哲学を継承する家具作りに邁進しています。
「バウハウス、最後の目撃者」と呼ばれる、テクタ社の創業者であるブロッホイザー氏は、第二次世界大戦後、当時の東ドイツ政府の弾圧により工場を奪われ、西ドイツのローエンフォルデへと亡命を果たします。バウハウスの精神を今日の私たちへと伝え続けている彼のことを、人は「バウハウス、最後の目撃者」と敬意を込めて、そう呼んでいます。
「Robin Hood Gardens」などの代表作で知られる、夫婦で活躍したイギリスの建築家。ブロッホイザー氏に、デザインの思想の面で多大な影響を与えた彼らは、ブロッホイザーの住まい「ヘクソン・ハウス」やTECTAミュージアムの設計を手掛けました。
数々の名作を生み出した、フランスを代表する建築家。ブロッホイザー氏とは十数年にわたり協業を重ねました。「素材」が何を語りかけてくるかをよく聞くことが重要という信念を持ち、テクタ社が数多くのカンティレバーチェアを作りだすキッカケとなる「チューブ・アプラティ」の技術をもたらしました。
ドイツ人建築家でアーティストとしても活動したステファン・ヴェヴェルカは「日常で使うものに対して美しいデフォルメを加える」というデザイン・フィロソフィーを持ち、実際に「座れない椅子」などのように「プロダクトの本質から導き出される機能」を魅力とする名作を数多く残しました。
1919年、ヴァルター・グロピウスの提唱によりワイマールで開校した、建築とデザインを主とした総合芸術学校。その後、拠点をデッサウ、ベルリンへと移し、1933年、ナチス・ドイツからの弾圧により閉校に追い込まれるまでのわずか14年間の活動が、その後の建築やデザイン界に多大な影響を与えました。
1919年、世界初の総合芸術学校バウハウスを創設し、1928年まで初代校長を努めました。アーティストが創造する「芸術」と、職人の領域であった「技術」の統合を唱えた彼は、「造形は機能に従うものであり、国境を越え、世界的に統一された様式」を主張しました。
建築家であり教育者でもあった彼が、後の世代に与えた影響は計り知れません。
バウハウスの一期生で、1920年から24年までバウハウスの家具工房で学び、後に同校のマイスターとして教授を務めたバウハウスの中心人物。世界で初めてスチールパイプを使ったイスを発表し、材料、生産にかかる時間とコストなど全ての面において最善の方法を模索しました。
バウハウス時代に数多くの作品を残し、渡米してからは建築家としても活躍しました。
バウハウス3代目校長として、1930年の就任からナチスの弾圧によって廃校になる1933年までの最後の3年間、校長を務めました。1937年アメリカに亡命した後「インターナショナル・スタイル」の代表者として成功を納めました。
グロピウス、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジェとともに20世紀の4大巨匠として知られています。
TECTAの名作家具のひとつ「K22」サイドテーブルに、お部屋に彩りを添えるアクタス限定カラーが登場しました。ペールトーンのイエロー、ブルー、ピンクの3色は、お部屋の雰囲気を明るくしたり、淡い色調でやさしい雰囲気のインテリアを演出します。K22のシックなイメージを一新するスペシャルカラーモデルは、アクタス・新宿店、丸の内店、心斎橋店、京都店の4店舗とオンラインショップで数量限定にて販売いたします。アクタスでしか手に入らないモデルとなりますので、ぜひお見逃しなく。